ヴィヴィアン・マイヤーを探して

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映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』
面白い。
興味深いという意味で。
知識欲を満たされるような。

ヴィヴィアン・マイヤーは先日生まれた伝説である。
一人の乳母が生前撮り貯めたストリート写真。
それはアマチュアとしは異様に高いクオリティだった。

なぜ発表しなかったのか。
ヴィヴィアン・マイヤーとは何者なのか。

映画序盤はその写真の素晴らしさが、写真家のインタビューによってわかりやすく明示される。
その後ヴィヴィアン・マイヤーの足跡を辿る。

深い水底に潜り込んでいくようなドキュメンタリーだった。

映画中で説明されているように、ヴィヴィアン・マイヤーは現在でも
美術館を代表する学術界からは評価されていないようだ。
それもそのはずであって、美術界は説明が無いものは理解できないのである。

ヴィヴィアン・マイヤーの写真は素晴らしいと言うことはできる。
しかしどこが素晴らしいのかという比較論は難しい。
好ましいという感覚。
それは確かにあるが、しかし理論としての新しさは見つけ難い。
映画中の写真家によってもそこは明らかにされていなかった。
本来なら本人が理論武装すべきだった。
しかしすでに他界である。

説明無き芸術。
世界中の賞賛はもはや無視できない。
誰もが作品を発表できる現代にこのような現象は増えていくだろう。

果たして美術界はヴィヴィアン・マイヤーをどのようにして受け入れていくのか。
彼女は今、美術史の中の一文ではなく、現在進行形の現象である。
私は映画のそのものの素晴らしさよりも、この現象の未来が楽しみであり興味深かった。